2011年02月25日

○○君へ。

昨日、後輩から相談っていうか、本当の意味のイマドキな青年と1時間以上話した。
テーマは「なにも課題や疑問が浮かばないこと。」・・・無反応、無感受。
相談っていっても、こっちから「大丈夫?」って声を掛けてだし。
すごく悩んでるんだけど、悩みどころがワカラナイ。
僕も勉強が全くデキナイ子だったから、「わからないことがワカラナイ」苦しさは知ってる。でもなんか違う。苦しそうじゃない。

最近様々な場所で無反応くんに遭遇する。
ダンマリの人は理解しているのか、我慢しているのかも分からない。
逆に、「私って○○じゃないですかぁ」ばっかりいうコも、結構これだったりする。会話の一方通行に慣れてるってやつ。

いや、「相手がお前だからダンマリしてんだよ」っていうのは中にはありますよww
僕をそういった対象として見るか否かを判断する意味でも、
今回は彼に思っていることをノートに書いてもらう様にお願いしました。
少しきっかけが作れればいいけど。

とにかく書く。バラバラでもめちゃくちゃでもいいから。そうしたことで、それがフローなのかマップなのかわからないけど、どこかで点とか線とか面が見えてくる。僕はそうやってます。

僕も彼に向けて、書きました。

ナマイキだけど彼以外にも読んでもらいたい人がたくさんいる、気がします。自分も含めて。
そのいつかの為にも、ここに書き残しておこ。

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・仕事と趣味、どちらも楽しいこともあるし、乗り越えなければならないこともある。
・いずれも学生以上に周囲から判断され、アウトプットが求められる世界ということ。
・こういった世界で、周りの人間が発している言動や、状況に異議や同意する感覚を持つときが、自分自身を映しだす瞬間。(疑問を持つ、結果を疑う→源流を知る、目的を持つ)
・そして自分自身の行動に疑問は発生しないか。
・その場や状況に慣れてしまっていないか。

これって大きな雲のようなことだけど、このモヤモヤしたことが形になって、人間は行動できると思います。
そのために、昨日は「とにかくノートに書きまくる」ことをお願いしました。

・前述のモヤモヤしたことを「考えて」「判断」することで、人間の「行動」とか「理論」はできていると思います。
・ひとりのオトナとしての理論や行動は、「記憶」ではなく「体得」です。
・僕は理論や行動を人間が持つ一種の「器」だと思っています。
・まだあなたはその持つべき「器」を持ってなくて、今回を機に作ろうとしているんだと思う。
・「器」が無い限りは「足りない」という事態は起きない。
・だから今は自由に疑問や憤慨や理解をしなさい。持つべき器は一個じゃないし、いっぱい器を作ってダメなものは壊せばいい。その器ができたときに、なにが足りないってわかるから。
・歳を取るとその器を壊すことが怖くなる。それを悪い意味での「経験」といいます。
その経験で、いっぱい得をしているし、損もする。穴が空いていることも気づかないことある。
人間はその器の中身や、出来が悪かったり足りないことを自分で認めたり人から指摘されるのを嫌がるけど、
昨日みたいに勇気をだして話をしたことが、新しい器を作る時だし、こちらにとっても経験を振り返る機会にもなる。

だから、是非、もっとみんなで会話をしましょう。話を聞いているだけじゃ、損ですよ。
これからもよろしく。

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posted by しまあじ at 15:19| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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