2011年10月25日

「雲井雅人サクソフォーンリサイタル」

超!ご無沙汰しております。
このブログ媒体のみで当方の存在を知る方なんていないと思いますが。。。

いろいろと考えて、このブログへ長文を書くことを控えていたら半年以上たってしまいました。
理由は幾つかあるのだけど、震災後の忙しさと、その自分のやろうとしてた表現そのものに懐疑が起こってしまったのが大きくあります。
書きたい時に書こうって思っていたら、結構その場のメモで済んでしまうことが多くて。

ただ、その際にSNSを含めた過去の日記を見ていたら中々戻れない感覚を書き残してるのもあって。
これは少しもったいないなぁと、いまどの水準に戻ろうとしているのかわかりませんが、また少しづつ書き残すことを始めたいと思っています。
まぁ、筆不精なことは変わりませんので。。。。

先日のコンサートのことを書きたいと。

「雲井雅人サクソフォーンリサイタル」
タイトルは「ミュールが聴いた音、愛した曲」

全てアドルフ製のサックス(約100年前の楽器)を用いたプログラム。以前宗次ホールに行ってアドルフを初めて聞いたのは2008年。
その時に書いている拙い文章を探して見つけてしまった。

「・・・・当然のごとくこの(現代の楽器との)違いに衝撃を受けるのだけど、どうしても判らないのは良く聴く機会のある「ミュール」の音に限りなく近かかったということ。
一つの絵画のようだった。 いや、研究を重ねて洗練された新しい世界にも感じる。

音、ではなく音楽が、なのかも。

当時のSPレコードを今CDで聴けば、ノイズもあるし、完全な音が聴けるわけではない。
これは奏者がこの歴史的録音に意図的に近づいたのか、熟練した奏者がもつ道具である必然なのか。 」

。。。。うーん、相変わらずよくわからん。でも、いいたいことは近いんだよな。

ある一部の例外を除いて、道具を選んで器用に使いこなす唯一の動物はヒトであろうと思うけど、その道具がより便利に、かつ美しくその時代に存在するか。

楽器が存在するためには、相当相応の奏者が必要であって、今回クローズアップされるべきはやはり道具であるアドルフなのは確かなのだけど、あのビブラートや、曲の求めるmf〜f(あえてffは無い)に関わるバズの入り方は完全に雲井氏の音楽性によるものなので。

正直いって、以前よりも、その楽器への一体感が心地よすぎて、あまりにも自然すぎて、ちょっと怖かった。

なんていうかなー、もうノスタルジックとかではなくて、もうすぐ過去から本物が来ちゃいそうというか。。。。
ほら、よくあるホラーで、アンティーク物に手を出す人が心まで・・・という・・・。

冗談はさておき・・・。

この時代に原点を知ろうとする事は決して珍しい話ではないが、もしかすると、ものすごい事に立ち会っているのかもしれない。
道具に対してウンチク並べる有識者は捨てるほど居ても、その道具を楽器として使いこなす人はそうそういない。

・・・だって、あの音だしてみたくなる。その場に近い音楽が存在する。こんなリサイタルは久しぶりだった。
posted by しまあじ at 01:58| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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